世界が認めたターンテーブリスト!DJ TAIJIにインタビュー①

(※この記事は2020.11.1に書きました)


皆さんこんにちは!


岡山DJスクールのDJ DAIです。

先日、日本を代表する世界的DJ、DJ TAIJI君にインタビューをさせていただきました!


スポンサードリンク





DJ TAIJI君の経歴です↓

【DJ TAIJI profile】

1994年にHIPHOPカルチャーに多大な影響を受けDJのキャリアをスタートさせる。

2002年、ロンドンで行われたDJコンペティションの世界大会にてアジアチャンピオンの日本代表として出場し世界第2位に輝く。

その他、数々の大会において輝かしい成績を残す日本を代表するターンテーブリスト。

国内のみならず海外でも、そのジャグリングスキル、センス溢れる音楽性と新進的アイデアを具現化する構成力、そしてその綿密なマニピュレーション能力が高く評価されている。

そのプレイは時代と共に進化するスキルとセンス。

但し、そこには一本筋の通ったオリジナルなスタイルが確実に存在し、 良い意味での矛盾が常に生じている。

そして見る度にオーディエンスの想像を遙かに上回る何かを与える。

決してその時代に媚びることなく、しかし、確実にオーディエンスをロックさせる「それ」は、 ストイック迄に詰め込んだ音という素材の数々を一つに纏め上げ、 その結果ワン・アンド・オンリーな音の時間を提供する。


⚫︎Battle Title

’98 TEENS DJ CHAMPIONSHIPS CHAMPION
’98 DMC JAPAN FINAL 5th PLACE (KANSAI BLOCK 2nd PLACE)
’99 OFFICE GM DJ BATTLE CHAMPION
’99 DMC JAPAN FINAL 3rd PLACE 
’99 B-BOY PARK DJ BATTLE CHAMPION
’00 DMC JAPAN FINALIST (KANSAI BLOCK CHAMPION)
’00 VESTAX EXTRAVAGANZA TEAM CATEGORY CHAMPION
’01 OSAKA ROCK THE HOUSE DJ BATTLE CHAMPION
’01 DMC JAPAN FINAL 3rd PLACE (KANSAI BLOCK CHAMPION)
’02 VESTAX EXTRAVAGANZA ASIA CHAMPION&WORLD 2nd   PLACE
’04 DMC JAPAN CHAMPION (KANSAI BLOCK CHAMPION)

自身のDJスクールである、KOBE RevolveR DJ SCHOOLで後続の指導に当たっている。

2019年より、YOUTUBEチャンネル、TAIJI Official にて、世界が認めた、ビートジャグリングのHow toやショートルーティーンを配信中。

http://revolver-dj.com/index.html




TAIJI君は上記のように、大変輝かしい経歴の持ち主です!(まじですごすぎ、、、)日本だけでなく、世界中にTAIJI君のファンがいます。DJのオリジネーターであるBeat Junkiesにもその実力が認められているのも納得です。


では、そんなDJ TAIJI君との、「DJについての本音トーク」の様子をどうぞ!


何歳からDJを始めましたか? DJを始めたきっかけは?
15歳からです。DJを始めたきっかけはスチャダラパーですね。すごいはやってて聞いてたんですけど、僕がやるならラップじゃないなと思って、一歩引いたDJかな、と思ってターンテーブルを買いました。

で、最初はDJって何してるかわからなかったので、ターンテーブルに最初についてきたべスタックスのビデオで独学で勉強したんですが、

そのビデオで、DJ Beatさんとか、マイクネロさんとか、べスタックスの司会やってた黒人の人とかがレクチャーしてたんですけど、めっちゃスクラッチしてるから、“それはみんなできないといけないものなんだな”と思って練習してました。



15歳ですぐターンテーブル買えたってすごいですね!
お年玉ためたり、親に前借りしたりしてました(笑)16歳くらいからバイトできたのでバイトしたりとかですね。

新品で一式そろえたんですが、ミキサーがめちゃくちゃ安いやつで、ヌマークの見たことない横長のやつだったんですけど、フェーダーがめちゃくちゃ固かったしりして、これでトランスフォーマースクラッチとかするの大変だなってなって、半年くらいで買い換えました。なので最初にテクニクスのミキサーが出た時の、フェーダーの軽さにびっくりしてましたね(笑)

ターンテーブルはテクニクスのマーク3使ってました。


DJとして成功していたり、ずっとDJをされている方は割とすぐ「ターンテーブルを買う」っていう行動ができてる気がします!

そのときDJが渋谷のサブカルチャーの一つとして、軽くブームだったことも影響してます。

メインストリームの人がみんなギター弾くところを、ちょっとひねってDJするのがかっこいいみたいなムーブメントがありましたね。

RIP SLYMEのフミヤ君とかがDJで回してるのがTVに出たりして、モテそうとかそういうのでみんなやってたんだと思います。僕は、高校生でもDJやってます、っていう人がTVの深夜番組に出てて、それを見たときに「あ、これや!」って思いましたね。


偉大なDJ TAJI君を生み出したのは渋谷のサブカルチャーブームだったんですね!


DJは誰かに習ったりしましたか?
完全に我流ですね。最初から誰にも教わってないです。

当時はいろいろゆるくて、17歳くらいでクラブとかバーに行ってた、ませた友達がいて、その子に連れて行ってもらってクラブいったりしてましたね。(笑)そこでDJ聞いたりとかして、DJについてはすべて自分で調べてやってました。なので、ほんとかなり遠回りしてたというか、何するのも時間かかりましたね。

だけど、自分でアンテナ立てて探したりとか、追及したりするスキルはついたかなと思います。

僕17歳とかでクラブでDJデビューしたんですけど、20分くらいの時間渡されて、めっちゃくちゃスクラッチとか2枚使いとかしまくってアホみたいにこすってましたもんね。あれフロアにいる人からしたらめっちゃうざかったと思います。(笑)

っていうのも、クラブデビューする前に、バイトしてた服屋さんとかでちょっとDJさせてもらったりしてたんですけど、当時10代でスクラッチとか2枚使いとかがっつりできる人なんて少なかったから、チヤホヤされてて、「それがいいんやー!」って思ってました。(笑)

今考えたら相当ひどくてヤバかっただろうなって思いますね。若気の至りってやつですね。(笑)


90年代後半当時の日本の音楽シーンについて

TAIJI:だいちゃんがDJ始めたきっかけは?

DAI:僕はパンクとか雑誌から入りました!。

TAIJI:当時はそっちから入る人多かったですよね。90年代後半はパンクとメロコアとかがハイスタの影響で爆発的にはやってて、ヒップホップがかなりヤラれてて肩身がかなり狭くなってました。ヒップホップのイベントとかクラブとかもどんどんなくなっていって、バンドのイベントがめちゃくちゃ増えてて、ファッション的にもバンドがめちゃくちゃ強かったですね。

で、Dragon Ashが出てきてヒップホップのパワーがまた戻ってきて、Dragon Ashの影響ってめちゃくちゃ大きかったなって思います。


DAI:服屋さんとか行ったらターンテーブルが置いてあって、パンク好きですって言ったら、Rage Against the Machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)とかLimp Bizkit(リンプ・ビズキット)を紹介してくれて、それからヒップホップもかっこいいなってなりましたね。






TAIJI:2000年当初が日本でいうヒップホップの黄金期というか、世間でもヒップホップが知られるようになった時代で、逆に僕はその時はヒップホップから離れれてましたね。

っていうのも90年代のヒップホップが好きだと、2000年当初のヒップホップの音ってすごくチャラく感じて、ムリムリってなって全然聞いてなかったです。食わず嫌いみたいな(笑) だから今聞くと逆に新鮮ですね、知らない曲とかも多いし。

その時はヨーロッパの音聞いてたり、オルタナ系のロック聞いてたり、四つ打ち聞いてたりしましたね。Ninja Tunne(ニンジャチューン、ヨーロッパのレーベル)とかボウワックスとかの影響も多くて、ヨーロッパに気持ちが流れてました。



何歳からDJの大会に出始めましたか?
最初に出たのが、DJ始めて2年後の17歳のときですね。97年のDMCの関西予選です。

司会がユタカさんとヒロシさんで、ターンテーブルが1セットだけで、交代するのもめちゃくちゃ時間かかるし、針飛びもエグいくらいしてたし、今みたいにビデオ審査がないから延々と20人以上予選やって、それをずっと見る、みたいな。できるだけ出してあげたい、っていうヨシさんの考え方もあったかな。今とはぜんぜん違う感じでした。


因みにその時出てたDJで今活躍してる人っていますか?
DJ Zoe君がぶっちぎりの優勝でした。一番手に出てきて、そのまま優勝していきましたね。


↓DJ ZoeさんのDMC FINALの様子です。(違う年のものです)



なんで大会に出ようと思ったんですか?
みんなが通る道だと思ってたからですね。どういう道があるのか、10代で何も知らなかったから右も左も分からなかくて。最初に見たビデオがバリバリにスクラッチしてたから、DJってそういうもんだと思ってました。

因みに最初に出たときはカスりもしなくて、そこから目覚めましたね。

バトル出ると自分の立ち位置が見えてくるから、どうすれば勝てるかとか、何が足らないのか分かってくるから、そこから必死で練習しました。

その時はSNSもなくて、いつどこでどんな大会が開催されるのかっていう情報が全然入ってこなかったから、たまたま大阪に買い物に行ったときに楽器屋さんに置いてあるフライヤー見て知る、みたいな感じでした。

で、気づいたときには大会の1週間前で、ぜんぜん準備期間ないけどとりあえず出る、みたいなことをやってましたね。とりあえず何でも、開催される大会はとにかく全部出てました。

で、次の年の98年のDMC予選では、みんながある程度僕のことを覚えてくれてて、自分的にはまだいける!って思ってなかったけど、初めてJAPAN FINALに出場できましたね。


2年目で!?すごい、、、さすがです。


TAIJI:その時の1位がシンさんで、2位が僕とZoe君と同率になって、去年のチャンピオンと同率ー!ヤベー!!みたいな感じになりました。(笑)

で、当時のバトルって延長戦みたいなの多くて、みんなネタ用意してない、、、ってよくなってて、

でもヨシさんは結構それ好きで、ネタがないなら1分間スクラッチだけでやる、とかさせてたんですけど、僕はそういうこともあることが分かってたからネタもって行ってて、なんとか勝てた、みたいな感じでした。

でもその時の僕のスクラッチなんてめちゃくちゃしょぼくて、ビートジャグリング(二枚使い)だけで勝負してた感じでしたね。


その時って誰が優勝したんですか?
AKAKABE君ですね。DJ歴2年目とかで、前年97年のDMC JAPAN FINAL優勝してて、翌年も優勝でした。

僕が大会に挑戦し出したときと同じDJ歴でDMC JAPAN FINALで優勝して世界に行って、世界で4位になって、その上にはDJ CRAZEとかがいて、、、って感じで、とんでもなくすごいDJだなって思いましたね。

僕は97年に関西予選に初めて出て、負けて、「すごく壁高いな」って思ったけど、JAPAN FINALにAKAKABE君とかが出てきたから、「さらに壁高いな、大丈夫かな、、、」ってなってましたね。

翌年に僕がJAPAN FINALに出た時もAKAKABE君がディフェンディングチャンピオンで出てきてたんですけど、その時すでにフジテレビの密着ついてきてましたもんね。うわーってメンタルやられそうになりました。(笑)

   
DJ AKAKABEさんのどんなところがすごいですか?
リズムキープですね。AKAKABE君のリズムキープが半端なくきれいで、僕のリズムキープはAKAKABE君をモデルにしてるくらいです。ほんとに半ばないですね。


DAI:ちなみに、以前インタビューさせていただいたDJ KEN-ONEさんはTAIJI君をモデルにしてるって言われてましたね!

TAIJI:それは完全に初耳でした(笑)



↓DJ AKAKABEさんのDMC JAPAN FINALの様子です



↓TIAJI君の99年DMC JAPAN FINALの様子です。


DAI:90年代後半から2000年当初は黄金時代でしたね。毎年面白い人がどんどん出てきてましたよね。




まとめ


DJ TAIJI君へのインタビューその1はこれで以上になります!

TAIJI君がDJを始めた当初から、音楽やターンテーブリズム真剣に向き合ってこられた様子がとてもよくわかってすごく勉強になったインタビューでした。

独学でDJを始めて、様々な大会に挑戦し、道を切り開いてこられたTAIJI君にはほんとうにビックリスペクト送りたいです!

ハングリーにがんばってこられた姿勢は、これからDJを始める方にはとてもいい指針になったんじゃないかなぁと思います。

TAIJI君、貴重なお話を本当にありがとうございました!
それでは、その2、その3もお楽しみに!

スポンサードリンク
OKAYAMA DJ SCHOOLの最新情報をチェックしよう!